※注意※
このブログはある程度のゲーム用語・知識を理解されている方向け前提で進めております。
全くゲームに興味がない方、触った事などがない方には非常に読みにくい恐れがあります。
また、ネタバレ要素などが含まれる部分がありますので、ご了承の上お読み下されば幸いです。
↓
LAL今昔比較感想、今回は功夫編です。
本当は前回の反省を生かしてサックリ1記事に纏めようと思ったんですが、どう頑張っても無理でした。すみません。
反省はしています。でも後悔はしてません。
そもそも自分が好きなものを語る事を目的にしたブログなので…ご容赦を。
今回リメイクをプレイするにあたって近未来編、功夫編、SF編の3つはプレイする順番、めちゃくちゃ迷いました。
特に、前回でも情緒ぶっ壊された近未来編のあの力の入れ具合。
正直『あ、これミスったかな。近未来最後にすればよかったかもしれない』と若干後悔の念すらありました。
ですが、それはそれ。
功夫編もまた、近未来とは違う意味で子供心に強烈に印象に残った章(いやどの章もなんですが)。
原始・幕末・近未来程長くはないですが、
ライブアライブの中でも屈指の名曲と名シーンの数々を誇る功夫編。
プレイされた中は心に強く刻みつけている方も多いのではないでしょうか。
個人的(本当にめちゃくちゃ個人的)にもプレイ以外で恐らく生涯忘れることができないだろう深い思い出がありまして、かなり感慨深い章です。
正直、近未来・功夫編の2編は、全7編の中でも特に、一番最後にとっておいて良いレベルで感慨深い編です。
(勿論、当然しょっぱなからフルスロットルでも全然良いです。何を重視し、何に思いを込めるかは人それぞれですので)
じゃあ何でその2つのどちらかが最後じゃないんだ、ということになりますが。
この、プレイ順の話は最後に回したSF編でします。
以下、本題になります。
↓
功夫編。
主人公、心山拳老師。
キャラクターデザイン:藤原 芳秀先生。
功夫といえば、当時自分の中で功夫=中国拳法=春麗やタン・フー・ルーの印象でした。主人公が老師なのでタン先生の方が印象としては近いですね。
漫画で言えば亀仙人というより、悟飯じいちゃん。
比較対象が限定的すぎる。
とはいえ、主人公が拳法の達人でお爺ちゃんのゲームって、珍しくないですか。
強いジジイの師匠や仲間ポジション、敵だったら沢山います。
現代編でも森部のじーさん、格好良いですしね。
勿論当時でも強いジジイは大好物だったので、初プレイ当時は現代編の次あたりに選んだ記憶があります。(確か功夫か幕末の原始のそれぞれをつまみ食いしてた記憶が。)
老師のアチョウ!という掛け声SEもまたもうカンフー!という感じで良い。
サブタイトル『伝承』の銅鑼のぼしゃぁ~~~ん!というSEと共に、
いかにも中国!!という感じの険しい切り立った山々の背景。
いかにも深山幽谷、といった景色が素晴らしい。
この景色が自分の中で中国のイメージを印象付けられてしまい、
似たような光景見たさに数年後に実際に桂林に行ったくらい(まだ日中関係が複雑化する前です)めちゃくちゃ好きです。功夫編。
周回だけなら一番やったんじゃないかな…色んな意味で。
そして、いかにも中国らしいBGMと町の様子や共に簡単なあらすじを流してくれます。
一つの流派が途絶えようとしていた、その拳法の名は…
ここでネームセレクト画面に移ります。
今回は老師自身の名前ではなく、老師が使う拳法の名前を自由に決められる。
実は今までわざと触れないで来たのですが、
LALの特徴として、デフォルト名はありつつ自分で名前を変えられるんですよね。
しかも、滅茶苦茶豊富な大量の漢字まで使える。
『最強の拳法の名前を考える』というのは幼少ならば皆ワクワクしたんじゃないでしょうか。最強究極なんちゃらみたいな。やたら『殺』とか『死』とか使いたくなるような。
自分も当時は割と名前を変更する側でした。
とはいえネーミングセンスがあるわけではなく基本どこかで見た名前をキャラに付けたりする方だったので、ドラクエ6でもVジャンプか何かの攻略本でエニクスと表記されていたのでそれに倣ってエニクスとつける人間でした。
クロノトリガーなんかはカエルの名前にガルベスとつけたり(特に野球が好きだったわけではないです)魔王をエスタークにしたりしてましたが。
因みに拳法の名前は全部漢字オンリーで、自分で付けたものもどんなだったかは忘れてしまいましたが、よくある子供の「ぼくがかんがえたさいきょうのけんぽう」みたいな感じの痛い微笑ましい漢字を宛ててたと思います。
さて、心山拳の名前が決まったところで、OP。
この時流れるメインテーマ鳥児在天空飛翔 魚児在河里游泳(未だにタイトルを完全に書けないし正式名称を思い出すのに苦労する)が、初っ端から素晴らしい曲すぎて。
そして雄大な山々に囲まれた中で、大岩の手前でひたすら功夫を積む老師の姿。
もうこの曲を聴くたびに「アッ…!!!!(声にならない声)」ってなるんですよ。
しかし老師も寄る年波には勝てずに下山を決意し、弟子を探すことにします。
弟子っつったってなあ…。(正直な感想でした)
どう探せってんだよ、と思いつつ適当に入った竹林には野生の虎がうろついてます。中国こわい。
しかし老師の強さは虎をも超える。
しかも老師の、技を出す顔の手前で両腕をクロスさせる構えがめちゃくちゃ格好良い。スタイリッシュすぎる。
森部のじーさんが『剛』だとすれば老師は『柔』。
優しそうな風貌からは考えられない軽やかな動きで虎を瞬殺します。
カッ…カぁッコイイ…!!!
戦闘BGMの在中国的戦闘もいかにもカンフー!といった感じでテンションが上がりまくります。
何気にフィールドBGMである老拳師下深山も大っっっっ好きです。
にぎやかさもありながら、どこかゆったりと穏やかでいて、でもメロディラインはどこか寂しくて優しい。
ただ老師が山を下りるというだけでなく「今まで老師が歩んできた道を降りていく」、といった印象も受けます。
そう考えるとこの曲はタイトル通り、老師「自身」のテーマなんですかね。
そして、竹林ではなにやら怪しい影がついてきます。
奥に進もうとした手前で呼び止められる。
野盗。それも非常に強気な女の子です。
「金を出せ」と言われても、このゲームにはゴールドやギルといった通貨の概念がないので、老師がいくら持ってるかもいまいち見当がつきません。
それでも渡す、という選択肢があるという事は一応お金は持ってるんだろうか…?と素直に渡すを選べたら渡せました。
渡したらそのまま去りました。
これが他のRPG(目に見える形でゴールドが減る…というデメリットがある)とかだったら絶対に渡してなかったと思います。当時から物欲の塊です。
なんだったんだ今のイベント(めちゃくちゃ鈍い)…と思いつつ別の町へ。
そこでは食い逃げ事件が。
ブチギレる店主に追われながら、めっちゃ食いながら悉く店主の攻撃をかわし続けるデブ。周囲の籠の中の果物らしきものが店主によって悉く破壊されていきます。哀れ。
店主が捕まえたら奢りだというので奮起した町の人と、丁度目の前に来た老師によって囲まれます。流石に食い逃げの肩代わりするほど(私は)良心的ではないので、食い逃げを懲らしめます。
あれ、こいつ戦闘ドットグラフィックがなんかザコのサイズ(大体上下2マス)じゃなくない?まあ、一般人だからかな。(ガチで気付かない)
理由を尋ねると、金はないけど体はでかいし腹は減ると。
働けよ。(素直な感想)
という私の意見に反して、老師は食い逃げ犯を「その体は立派な個性だ」と励まします。
優しい。流石は老師様ネ!
「わしのところに来ればメシ位いくらでも食わすぞ。」
えっ?
まさか、こいつが弟子?
えー………?(困惑)
と、言う訳でサモ・ハッカが仲間になります。
この時はさほどカンフー映画に詳しいわけではなかったのですが、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーくらいは知っていましたので、見た目も相まって
あっ!あいつかあ!!
となりました。
まあ、とはいえこいつが弟子かぁ…と思いつつサモと2人で次の町へ。
次の町では流行り病にかかっている様子。
竹林に薬草が生えているらしいのですが、どうもそれでないと治らないらしいです。
あれ?竹林ならさっき行ったけども?(草を調べてませんでした)
と、改めて竹林に入って調べていくと、守体草とその他雑草が生えてました。
進んでいくと、また例の野盗の女の子が。
しかしその女の子の先にもまだ草が生えている(できるだけダンジョンでアイテムは全部回収しておきたい性格)。
1度目は金もあげられたんですが、今後は後ろのデブによって枯渇していくだろう老師宅の食料と金に不安を覚えて文無しじゃを選びます。
今思うと子供の頃は「何故そんなところを気にするんだ…?」という妙な心配をよくしていた記憶があります。子供ってそんなもんだと思います。
すると戦闘に。
あれ、この子も戦闘ドットグラフィックがなんかザコのサイズじゃなくない?
と思いつつ、倒します。
案の定、この子も弟子候補でした。レイ可愛い。
個人的に拳法は一子相伝のイメージがあったんですが、考えてみればケンシロウにだって兄弟子が3人いますからね。
ん?…てことは?
と、薄々気付きながらも病気の人々を治しに町へ向かいます。
あるご老人に守体草を差し上げると、「ごめんなさい!」と少年がその場を通り過ぎます。
まあ、道が狭いですからね。
その子はなんとそのご老人のお孫さんだとか。
良い子なんだけど、最近様子がおかしいと。
はぁ…そうすか…と思いながらどんどん病にかかるご老人たちを治していきます。
守体草、一個足らないんですけど!!!?
取り逃したと思い、いそいで竹林に戻るももうぺんぺん草の一つも生えてません。
え、もしかしてなんかしくじった!?と思いセーブしてやり直しました。
そしてなんだよぉ…と脱力しました。
この経験、された方も多いんじゃないでしょうか。
そして、前に町を見た時にはいなかった変な輩が下の方で何かやってます。
少年からカツアゲしている模様。
しかし、少年は「お年寄りからもお金を盗むなんて、もう嫌だ!」と中華風ヤンキーに立ち向かいます。
そして、功夫編屈指の名場面へ。
SFCのあの小さなドットですらあの老師様は格好良すぎるんですよ。
何度やり直してもあの「失礼する」からの流れが、老師が格好良すぎる。
そしてチンピラどもを難なくやっつけ。
少年が、助けてくれたお礼とともに、
「お財布…お返しします」と。
「え?財布スられてたの?…あ!ぶつかったときか!」
ゴエモンだったらブーッ!って音と共に-70両の文字が浮かぶのに(そういう事ではない)。
財布の概念がなかった上にアイテムにもなかったので、当時全く気付きませんでした。
「お年寄りからも」というのは町の老人たちのことかと…(恐らく何回か繰り返してはいるのでしょうが、お年寄りは避けていたんでしょうね)
しかし老師に気付かれることなく財布をスるとは、恐るべし窃盗技術。そのまま行けば気付かれずにジョネスの心臓を盗めそうです。(気付かなかったマヌケは私だけだと思います)
と、言う訳で3人目の弟子候補…になりそうなところで
初めて老師から明確に「ダメじゃ」という拒否の姿勢が。
お?と思って拒否すると、ちゃんと理由がありました。
そしてこれ、地味に「最後まで拒否する」のが正解だなっていう個人的な拘りです。
そして修行編に入ります。
そして古参ファン(を自称する身)としては絶対に外せない話題
「最初誰を選んだか?」問題。
誰に一番修行付けたかで選ばれるかなんてわからんよぉ…
修行は計4回ずつ、3度行われます。
対して弟子は3人。
合計12回なので、各ステータスの上がりを除いても稽古の数だけなら全員平等に稽古できるんですよね。
まあ、個人的に言えばレイが好きだけど一番王道主人公っぽいのはユンだよなーと思いながら初回は当然それぞれに1回ずつ(一番弱いユンだけプラス1)で全員平等になるよう稽古しました。
えこひいき、よくない(ユンは贔屓ではないのか)。
厳しい稽古の後でも飯はまだっチか…と笑わせてくれるサモ。
体力がなく、女の子扱いをされて笑うレイ。
2人に比べて実力が劣ると理解し、一人深夜遅くでも鍛錬に励むユン。
セリフからもそれぞれ3者3様のキャラが立っていて、それぞれ目的は思い思いですが修行には皆真面目なんですよ。
そして稽古をつけるうちに強くなっていく弟子たち。
特に目に見えてわかるのは、レベルが上がって心山拳の技を覚えつつ一発じゃやられなくなるユン。
その内には老師の方が先に体力が尽き、心配される弟子たちに囲まれるまでになっていきます。
そして厳しい修行の日は瞬く間に過ぎていったある日、ホイ飯店の店主が助けを求めにやってきます。
かつてユンを脅してパシリに使っていた孫子王が、町で暴れていると。
ユンが「僕が行きます!」と奮起しますが、それを老師が咎めます。
この時の、ユンと老師の会話が良いですよね。
確かに弟子たちは修行で強くなった。けれど、心が鍛えられていない。
いたずらに向かっても憎しみの矛先は町の人に向かう。
孫子王のように弱者をいたぶる事で自尊心を保っているタイプの人間は勝てない相手に怒りの矛先を向けませんからね。
実際、老師の所へ直接殴りこむわけでなく町で好き放題暴れているわけですし。
というわけで、老師自らが町へ赴き、孫子王を成敗します。
そして捨て台詞と共に出てくる『義破門団』という別流派の名前。
子供ながらに、あー、この義破門団と戦うんだな…と思いつつ修行場へ戻ります。
滅茶苦茶に荒らされている修行場、倒れているレイ。
へ…?あ…?
レイに駆け寄るも、返事がありません。
その奥でまたしても荒らされた部屋の中に倒れているサモ。
嘘だろ…?
サモを起こそうと必死になる老師に、物音が。
「すみません、老師…」と共に現れるユン。
一部始終を聞かされます。
え、マジで?
…マジで二人とも死ぬの?
いくらユンが主人公っぽいからって、他の2人が死ぬこたぁねーだろ!!!
(この時は誰に稽古をつけようが絶対ユンが選ばれるんだと思っていました)
そして大志山の頂上に二人の墓が作られ、弔われます。
2人に祈りを捧げた後、老師は唯一残った弟子ユンに奥義を見せます。
「今のお前にはまだ無理だろう。だが、一度見ておけば。心に焼き付けておけば、そう長くはかからない」と。
そして暗転した後、今日は修行は休みだ、とユンに告げ「二人の墓前に行ってくる」と告げる老師。
それぞれに話しかける老師の無念の言葉が、もう。
やめてくれよ。
かなり真面目に、ショックでした。
そして単身、義破門団へ殴り込みに行きます。
そして大勢に囲まれたと思いきや、駆け付けるユン。
この馬鹿者が…!
そしてどんどん門弟たちを倒していき、義破門団のボス、オディワン・リーと側近の門弟たちが集う最奥に辿り着きます。
それぞれ弱い順から倒さなければリーと戦うことも出来ません。
因みに普通に回り込めるので直接リーに話しかける事が出来るんですが、話しかけるとご丁寧に末席から走ってやってくる門弟たちと強制戦闘に入ります。
流石に駄目か…(チッ)
順々に倒し、いざオディワン・リーと対戦…と思いきや銅鑼の背後からやってくる刺客。
老師は己の限界を悟り、ユンに「お前がリーを倒すのじゃ」と託します。
(実際、義破門団で戦っているうちにどんどんユンも老師と互角くらいに強くなっていきます。そこで初めて、老師のレベルが上がらない事にも気付きました)
ユンもそれに頷き、
それに対し、リーは「老師ではなく弟子のお前が?」とイラつきます。
まあ、リーからすれば修行中の弟子、いわば老師の金魚のフンの方が相手となれば侮られたとイラっと来るでしょう。
お前は散々その老師(とユン)に弟子をけしかけてきたくせに。
そして、老師の掛け声とともに呼吸を合わせるユン。
2人の墓標の前で見せた心山拳の奥義です。
流れる鳥児在天空飛翔 魚児在河里游泳。
もう、この時点で体が熱く、涙が出かけました。
そしてそのままオディワン・リー戦へ。
正直、この時
「最初にこの技を出して弱体化させないとボスにダメージが通らない仕様なのでは?」という謎の思い込みから、早々に使っちゃったんですよね。奥義。
でも、子供の頃はそれでも良かったんです。
リーさえ倒せれば。
そして見事にリーを倒し。
そして、EDへ。
もうこの時、全身からブワッと鳥肌が立って涙で画面が滲んでいました。
老師が好きすぎて、薄々「そうだろうなあ」と思ってはいたんですけど、ダメでした。
そしてクリアデータ後の、どどめ色(?)になったキャラセレクト画面には心山拳「老師」ではなく、心山拳「師範」としての新しい姿が。
(初プレイ時は流派が別の名前でしたがガチで覚えてないので心山拳にしてます)
冒頭でも触れましたが、功夫編は全7編のうちでもかなり早い段階でプレイした事もあり、
このゲーム、やばい。
と、ライブアライブというゲームに『明確にハマらせてくれた要因』になったのがこの功夫編です。
ですから、どうしても思い入れが強くなってしまいます。
兄にクリア報告後、「弟子選べるよ」と聞かされ「何だって…?」となったのも良い思い出です。
それよりも当時功夫編始めた頃はまだ兄のプレイ済セーブスロットが健在でしたのでクリアー後にちらっと確認したら邪王炎殺黒龍拳になっていた事の方が寧ろ今でも鮮明に覚えています。
それはずるいよ!ってなりました(何が)。
リメイク編感想にしては次になります。本当にすみません。
→後編へ
©1994, 2022 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
CHARACTER DESIGN
© 1994, 2022 SQUARE ENIX CO., LTD.
© 1994, SHOGAKUKAN Inc.
Gosho Aoyama, Yoshihide Fujiwara, Osamu Ishiwata, Yoshinori Kobayashi, Ryouji Minagawa, Kazuhiko Shimamoto, Yumi Tamura
記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。
コメント
コメントを投稿
宜しければご感想とか頂けたら非常に嬉しいです。